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環境で左右される“正常”と“異常”の考え方

病気・障害のこと

こんにちは。
作業療法士のゆうです。

『正常』と『異常』ってどうゆうイメージをもちますか?

『正常』。。。
1分想像してみてください…

『異常』。。。
1分想像してみてください…

もし、同僚や友人とイメージの意見交換をすると
パッと出てくるイメージって異なる意見も出てくると思います。

同じ職業でもね。

ゆう
ゆう

じゃあ、正常と異常ってどう分けられているの?

看護師
看護師

例えば、このような人たちはどう思いますか?
・歯がない
・眼鏡をしている(視力低下)
・髪が少ない
・大食いタレント〇〇のように食べられる
・走るのが遅い
・手がない

ゆう
ゆう

困ることがあるかもしれないけど、
特に異常だとは思わない。

看護師
看護師

本人は困ってないかもしれませんよ?

ゆう
ゆう

確かに。。。
すいません。

看護師
看護師

じゃあ、こーゆう人たちはどうですか?
・世界陸上金メダリスト
・一般人には分からない有名芸術家
・尋常じゃない動きが出来るダンサー
・IQ180超え
など、の人たち。

ゆう
ゆう

うっ、普通ではない。

看護師
看護師

一応、定義を確認しておきましょう。

正常と異常とは

正常の定義は以下のようになっています。

正しいとされる状態にあること。
変わったところや悪い所がなく普通であること。

コトバンク

また、異常とは以下のような定義になっています。

普通と違っていること。正常と違っていること。

コトバンク

普通

「正常」と「異常」のどちらも『普通』というキーワードが出てきますね。
この普通というのは一般的には「多数者」を示すものです。

正常とは「多数者」のことと捉えやすいです。

それに対して、異常とは「少数」のことを示しますが、オリンピック選手のような人たちが異常だとはなりません。

社会が認めるかどうか

例えば教育現場。
現在、体罰と言われるような「生徒に手を挙げる」なんて行動は認められません。
ですが、ひと昔前は容認されていました。

ゆう
ゆう

昔の実習は厳しかった。レポート10人とか。
毎日、睡眠時間2時間とか当たり前の人多かった。
実習中は実習中で気疲れするのに。

また、今はLGBTなど社会に受け入れられてきていますが、昔は違いましたよね。

正常と異常は
人数” と “社会が容認しているか否か
が鍵になりそうです。

精神科領域の“正常”と“異常”の境界

精神科領域では4つの基準があります。

・適応的基準
・価値的基準
・平均的基準
・病理的基準

順に解説していきます。

✔適応的基準

適応的基準での“正常”と“異常”とは

正常:所属する社会・共同体・集団に適応している状態
異常:適応できずに社会活動を行いない状態

となります。

この判断には“主観的判断”と“社会的判断”があります。

主観的判断:集団や社会に適応できていないと自分自身で判断する場合で、精神的あるいは肉体的に苦痛を伴っていることが多い。

社会的判断:他者が判断する場合。この場合、個人的な偏見や要求が含まれることもあるので、注意が必要である。

看護師
看護師

引きこもりのようなケースはどうだろう?

ゆう
ゆう

本人や家族が苦痛や迷惑を感じていないようであれば、外部から判断される必要はないかもしれないと考えられます。

ですが、社会参加を一切しない状況になると自尊心の低下や将来への悲観、認知の歪みなどに繋がることが多くなるので、本人の心理的な煩悶を受け入れながら、社会参加のための訓練が必要になってくると思います。

✔価値的基準

価値的基準とは

所属する社会の構成員が“合理的な理念体系”(法・倫理・習慣・伝統・常識)に基づく規範

とされています。

価値的基準での“正常”と“異常”とは

正常:遵守すべき規範であると承認しているルールを順守する意識を持っている者

異常:規範を逸脱して違背することを悪いと思わない者

ゆう
ゆう

だから、オリンピック選手や一般人に分からないような有名芸術家などは少数しかいないけど“正常”の枠にいるんだね。

✔平均的基準

平均的基準での“正常”と“異常”とは

正常:該当する集団の中で、平均的な行動や思考、価値観を持つ標準的な人格

異常:平均的から遠ざかる人格像

✔病理的基準

病理的基準とは

病理学的知見や医学的診断基準を前提として行う医学的検査や問診によって、病気と診断する基準

となっています。

病理的基準の“正常”と“異常”とは

正常:健康と診断された場合

異常:病気と診断された場合

病理的基準は医学的な診断基準を参考にして行うが、公的な病理診断は専門家である医師にしか出来ない、と定められている。

“正常”と“異常”より大切だと思うこと

セラピストとして働けば働くほど、人と関われば関わるほど
“正常”と“異常”について疑問に思うことが増えました。

人の違い、地域の違い、国の文化の違いで
“正常”も“異常”が全く真逆になることもあります。

自然界にある以上はすべての出来事は正常であり、
人間の主観的観念によって“正常”と“異常”が分けられてあると言えるでしょう。

「合理的」であれば正常
「非合理」であれば異常

分けなければ、社会生活が効率的に成立しないからという考えで。

環境が変わって適応できなくなれば、体調を崩す人が多いですよね。

だからこそ、どんな環境で過ごせるのかが大切なんだと思います。

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